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支援の声、裁判傍聴記などを紹介します。


昨日公判が行われましたので、簡単にご報告。
傍聴希望者は約150人ほどおられ、あとの報告集会の参加者数から見て、6割が原告側、4割が被告側の支援者だったように思えます。昨年私が傍聴した際よりも被告側の支援者が大幅に増えていましたが、それでも原告側よりは少なかったでしょう。(あくまでも印象なので確実ではない) 抽選になりましたが、幸い私は傍聴することができました。

冒頭より、まず原告側稲田弁護士の意見陳述、続いて被告側を代表して朝日新聞の弁護士が意見陳述を行いました。朝日新聞の意見陳述は、準備書面として提出したものが膨大であるため、概略の説明であったようです。その中で 原告側の「百人斬り競争は虚偽である」「捕虜の据えもの斬り競争も虚偽である」という主張を全面的に否定する望月五三郎氏の手記をはじめとして 1967年陸士49期(野田少尉の同期)の会報「鎮魂」に、野田少尉の父親が寄稿している。その中で、「我が愚息野田毅は確かに百人斬りを行った」云々という記述がある
向井少尉は「百人斬り」が行われていたとされる時期に負傷後退していたという「アリバイ」を主張しているが、向井少尉の率いる歩兵砲小隊の兵士(田中氏) の日記が発見されている。いつ、誰が戦死した、負傷したという記録が正確に記載されているが、小隊の最重要人物であるはずの小隊長の負傷後退という記載はない。 従来、志々目彰氏の証言のみで野田少尉の講演の模様が伝えられていたが、実はこの時期帰郷していた野田少尉は「百人斬りの英雄」として数多くの講演会等をおこなっており、そのことは各新聞の鹿児島県版に度々記載されていた。
などの新しい証拠の存在が明らかとなりました。その証拠の量は、裁判官がぽろりと「こんなに証拠が出てくるとは思わなかった」と漏らすほどのものであったようです。

それに対する原告側の反論(順番的には、朝日側の陳述より前に先回りして行われましたが)は、「旧軍人の中にはうそをつくものもいる」という、反論にもならないようなものでした。もちろん、いくら原告側でもこれが反論の態を為しているとは思っていないでしょうから、いずれ新しい反論を用意してくるでしょうが、どんな内容になるのでしょうか。

原告側は、証拠が出尽くしたものと考えて、証人調べに入りたいと考えていたようです。しかし、その意に反してかくも大量の反証が出てしまったため、証人尋問どころではなく、次の公判の前に「進行整理」ということで少数の関係者による論点の整理打ち合わせが行われることになりました。傍聴可能な通常の公判はその後ということになるようです。



 4月19日、午後1時10分。103号大法廷。
 傍聴席は満員だったが、原告側の支援者も多いらしい。

 裁判の冒頭、向井少尉の娘エミコ・クーパー原告(田所千恵子原告の姉)と、 野田少尉の妹野田マサ原告による「意見陳述」が行われた。いずれも10分 前後の長いもので、毎日新聞の報道や本多さんの記事によって、いかに遺族 として辛い思いをしたかについて、涙ぐみながらの陳述であった。原告側弁護 団の中枢的存在である稲田朋美弁護士がもらい泣きをしていた。

 その後に手続に入り、原告は準備書面(6),(7)及び(8)を陳述した。被告毎日 新聞が準備書面5及び6を陳述、被告朝日新聞が第三準備書面、被告柏書 房が準備書面(2)をそれぞれ陳述した。

 焦点となったのは、今回原告らの側が陳述書を提出し、人証申請を行った ことである。申請があったのは以下の人物である。

1 佐藤振壽: 百人斬り報道で両少尉の写真を常州で撮影したカメラマン。陳 述書あり。
2 稲垣 清: 元軍人らしいが詳細不明。陳述書あり。自分は南京にいたが 残虐行為など全く知らないと記載してある。
3 井ノ上繁: 鹿児島一中出身で野田少尉の話を聞いたことがあるらしく、その ことについて証言させたいらしい。
4 桑原眞一: これも元軍人らしい。向井少尉や野田少尉のような歩兵小隊長 や大体副官の任務について証言し、こうした立場の軍人が軍刀を持つことなど 不可能だと証言させたいらしい。
5 氏名不詳: 毎日新聞社員。毎日新聞発行の『昭和史全記録』という書籍の 執筆者。この書籍が「百人斬り競争は事実無根」と記載したことについて、その 根拠を問いただしたいらしい。
6 北村 稔:ティンパリーが国民党のプロパガンダであり、南京大虐殺はこの プロパガンダの結果のでっち上げだと主張させたいらしい。
7 田辺敏雄: 中国の旅に関連して本多さんに抗議したが無視された経緯を 立証したいらしい。『追跡平頂山事件』という書籍の著者。
8 本多勝一: 本多さんに直接質問したいらしい。
9 原告本人:田所千恵子、エミコ・クーパー、野田マサ
 以上11名。

 問題は佐藤振壽氏だ。同氏の陳述書によれば、同氏が野田・向井二人の 写真撮影をしたのは確かに『常州』であり、報道をした浅見記者と二人の少尉に そのとき会ったと陳述している。その際の会話では、浅見記者から「二人は 南京入城までにどちらが百人の中国兵を斬るかの競争を始める」と聞かされた とする。あとは、「自分は百人斬り競争は法螺話だと思った」という推測が綴られ ているに過ぎず、直接的な体験の事実は記載されていない。

 もっとも、両少尉の南京裁判のときの主張は、二人は常州にはいなかったと いうもので、この点と佐藤氏の陳述とは明白に矛盾することになる。原告らは、 両少尉が常州に行かなかったとの主張を捨て、佐藤カメラマンの陳述に基づ いて今後の主張を展開していくものと思われる。つまり、南京裁判では両少尉 がウソをついていたことを前提としての主張となる。

 一方、本多さんの代理人の渡辺春己弁護士が、今回新たに見つかった書証を 提出しそれに関する口頭での主張を行った。これは、新たに見つかった1938年 1月の新聞記事(ジャーナリストの星徹さんが発見)で、そこでは野田少尉が 郷里の知人に送ったという手紙の内容が記事になっている。

 この手紙では、野田少尉が「百人斬り競争」報道が東京日々新聞でなされてい ることを知っていたこと、この時点までに253人を斬ったこと、これから1000人 斬りをやろうと向井少尉と決めたこと、戦友の六車部隊長が「百人斬り日本刀 切味の歌」なる歌を作ってくれたことまでが記載されている。

 原告らの主張は、東京日々新聞の記事内容を両少尉は当時まったく知らな かったという点が大前提であったが、この報道によって原告らの主張構成は 根底から変更することを余儀なくされることになろう。自分自身が承諾していた 記事について名誉毀損が成立するはずもない。この記事の存在に渡辺弁護士 が触れたとき、原告席は明らかな動揺を見せていた。

 以上のやりとりの後、原告らが人証の採用を要求したが、被告らは時期尚早 であるとしてさらなる争点整理を「意見書」を提出して要求した。これに対して 裁判所は,佐藤振壽氏が高齢(90歳代)であることから、証拠保全的な意味 (いつ亡くなるかわからないのでできるうちにやっておく)で佐藤カメラマンの証 人調べだけを採用した。

 次回の期日は7月12日午前10時15分から103号法廷で、原告側の主尋 問が30分、被告ら全体で反対尋問60分の予定である。

 双方の主張の根拠が出てくるようになり、いよいよ訴訟は一つの山場を迎え ることとなった。唯一の生き証人ともいうべき佐藤カメラマンがどのように証言 するのか、次回もぜひとも傍聴支援をお願いしたい。



 私は大学1年の時に本多さんの『中国の旅』や『南京への道』等を読み、それが日本の近代史を勉強するようになるきっかけの一つになりました。とくに「百人斬り」については本多さんの本で初めて知り、ショックを受けた覚えがあります。まさかその歴史的事実を否定しようとする裁判が起こるとは思いませんでした。

 この裁判は、日本の歴史認識をめぐるものとして本当に重要な裁判だと思います。そして、さらに重要なことは、私たち若者の世代がきちんとした歴史認識をどうやって受け継いで、しっかりとした認識をつくっていくことができるのか、ということでしょう。その意味で、歴史認識の問題は私たち自身の問題だと思います。

 ということで、この裁判の支援も、自分たち自身の問題として精一杯取り組んでいきたいと思います。

(都立大学生 22歳)

 初めて百人斬り裁判に行ってきました。

 91席ある傍聴席はすべてうまり、とっても注目されている裁判なんだなぁと純粋に思いました。

 原告側の弁護士さんが「毎日新聞の出版した本のなかに『百人斬りの記事は事実無根だった』と書いてあります」といい、書類を提示した際、原告側の支援者の方が「ほら、被告側は困っているぞ」と失笑しておられました。

 両少尉は、当時の誌面に、コメント付きで四度も載っているのに(その中には銃剣を持ちポーズをきめている写真もあります)「それは嘘の記事でした」という、たった一言で「百人斬りは事実無根」と断言することができるのでしょうか?

 歴史を、事実を、亡くなられた方々の存在を、一言で否定してもいいのでしょうか?

 遺族の方々の敬愛追慕の情は痛いほどわかります。

 しかし、もう同じような悲惨な歴史を刻まぬよう、犯してしまった事実をしっかりと受け止めなければなりません。

 加害の責任を、曲げることなく、真っ直ぐに受けとめて、戦争の総括をすること。それが大事だと、今日の裁判を見て強く感じました。

 これからの裁判も傍聴に行きます!

 皆さん頑張りましょう!!

(23歳 学生)

 今日、初めて裁判所に傍聴しに行きました。知り合いの方から聞いていた話では、今までの裁判では半数以上が相手側の原告を支援している人だとか。それなら僕に支援できることは、「傍聴すること」が一番だと思い、裁判所に出かけました。着いて間もなく整理券をもらい、やはり定数を超えたので抽選になりました。この行列の中の何人が本多さんを支援しているのだろうかと気になっていると、発表があり僕は無事に入ることができました。裁判が開廷し、双方の弁護士のやり取りも始まり緊張した雰囲気のなか、僕の一席空けた隣の方が、べらべらしゃべり始め、席を立ち上がるようにそわそわしたり。何て常識の無い人なんだろうと、マナーさえ守れない人が傍聴に出席する資格など無い!と思ったのは僕だけでしょうか?その方が原告側だというのは言う必要はありませんが、どちらの支援をしてる、してない以前にマナーぐらい守れませんか?非常識な人がいるというのは、どちらの側も嬉しくないはずですし。

 裁判が終わり、弁護士会館で報告集会がありました。そこでは、弁護士同士のやり取りの内容や今後について、弁護士の方々から報告がありました。裁判中というのは、僕が後ろのほうに座っていたせいか、何をやっているのかあまりよく分かりません。ですので、こういう説明をしてくださると、「傍聴に参加してるんだ」という気持ちにもなります。そして、やはり僕たちが本多さんを支援するベストな方法というのは「裁判所に行き、傍聴すること」だと弁護士の方はおっしゃってました。本多さんを応援している方は、平日というのは大変ですが是非とも裁判所に足を運んでください。そのためにも裁判所も土日を開けてもらいたいと僕は願っております。最後に、その報告会で出席していた方“以外“が、全員、『原告側支援』(だったと気付くと恐ろしいほどの動員数と言えば想像できると思います)だと同時に、次回以降も傍聴しに行かなければと思いました。

(22歳 学生)



昨日、半日有給休暇を取って、「百人斬り裁判」の第3回口頭弁論に行ってみました。何しろ裁判というものを傍聴するのは初めてのことなので、いろいろと勉強になりました。
そもそも抽選時間を確認しないで出かけたものだから、早すぎる時間に現地に着いてしまい、まだ誰もいない^^
仕方がないので地下鉄内の喫茶店で時間を潰して出直すと、わずか20分余りのうちに、抽選待ちは既に長蛇の列となっていました。

残念ながら、人数的には右派が圧倒的でした。事後の報告集会で、「こちら側は30人いたかどうか」という話がありましたが、私は正直もっと少なかったと思います。何しろ、私の周囲は前も後ろもずらーっと右派の人たちが並んでいました。ビラを配っている人がいたので、ちらりとのぞいてみると、男女共同参画社会基本法反対」というもので、「こういう危険な法案はなんとしても廃案にしないと」などと「同志」と語り合っておりました。
見知った顔がやってくると、おじぎをしてチラシを配る、見知らぬ相手(例えば私)だとチラシは渡さない。その様子から見て、右派陣営は大半が仲間同士の顔見知りという雰囲気でした。どういう動員をしているのか分かりませんが、拉致問題のブルーリボンをしている人たち、戦友会系の老人たち(一部は中帰連の方などもいらっしゃったけれど)、30代から40はじめあたりと思われる女性もいました。

さて、肝心の法廷の中身ですが、もっぱら原告被告の準備書面の確認に終始しているのですが、傍聴席は準備書面第何号と言われても、それがどういう内容かが分かりませんので、今ひとつ流れがつかめませんでした。
被告側の一員である毎日新聞の弁護士は、除斥(この場合は時効の意味であるらしい)の件はどうなったのか、というようなやりとりを裁判長等と交わしていました。報告集会における話によると、新聞社は完全に逃げ腰で・・・・・、ということでしたが、私はそれは仕方がないかな、と思います。

また、原告側は次回公判で「BC級戦犯の資料を提出する」と言い、弁護側は「出すのはそちらの自由だが、裁判の本筋と無関係な話ではないか」というようなやりとりがありました。 そんなやりとりのうちに、30分ほどの時間が流れ、唐突に「では本日はこれにて閉廷」

その後の報告集会−同じ弁護士会館で、原告側は5階、被告側は10階で集会をやっていました−でも出ていたことですが、原告側(右派)に比べて、被告側は傍聴席の人数も少ないし、本多勝一氏の弁護人と、朝日・毎日・柏書房の弁護人の間に統一方針がなく、言ってみればバラバラ。特に毎日新聞は、先にも触れたように「一抜けた」したいのが明白です(そりゃ当然と言えば当然)。 法律と過去の判例から判断する限り、原告側勝訴の可能性はほとんどない、とのことですが、どうも準備万端整えてかかってきている原告に対して体勢が整っていません。

次回の公判は2月23日(月)午前10時だそうです。



着いたのは、9時10分ぐらいだったと思います。(時計を忘れた為、正確な時間は不明。)法廷に入れるのは40人なのですが、60〜70人くらいの人が集まってました。私の周りでは、殆どが原告側の支持者です。100人斬り裁判のビラ撒いてる人とか、『朝日が明かす中国の嘘』(向井千恵子さん?の署名入り)を持ってる人とか。ちなみに、私の持っていた整理券の番号は59でした。

まず、裁判長から、被告側に確認がありました。『中国の旅』・『南京への道』への道にはイニシャルで書かれたものと、実名入りのものがあるが、実名入りの方も請求原因にするのか。という事でした。原告は肯定。

それから、互いに求釈明がありました。どうも前回の求釈明の続きみたいです。

被告側弁護士から『M・N両少尉が浅見記者と話した事が虚偽なのか、捕虜のすえもの斬りをしたという事が虚偽なのか・・・つまるところ、虚偽である事の具体的意味を問いたい』との質問がありました。それに対する稲田朋美弁護士の答は以下のようなものでした。

―『百人斬りは全て虚偽』

次に、被告側がこれは史実問題である。と言い、それを踏まえた上で、以前の発言を撤回し、「積極否認」をする。と言いました。(今回の裁判のように、死者に対する名誉毀損が問題となる場合、争点となるのは、該当の記事か虚偽かどうかであるということです。そして、「名誉毀損である」という原告の主張を否定することを「積極否認」と言うそうで・・・)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1783/trouble2-1.html

ここから先、被告側弁護士の発言は、私にとって非常にわかりにくい物でした。時々、傍聴席から失笑が漏れていました。

裁判自体は、20分くらいで終わり、あっけないものだと思いました。

興味深く思ったのは、支持者の層です。原告側の支持者は殆どが、40代〜だったのに対し、被告側は殆どが20代です。とにかく若い。男性がやや多い。

弁護士会館で行われた報告会では、熊さんの司会の元湯浅謙さんの話がありました。

それから、星徹さんから、百人斬り競争の論争史について渡辺春巳さんから、百人斬り裁判の概要についての説明を受けました。

本多氏に言うには「こんなバカバカしい裁判に付き合いたくはないが、裁判は放り出すと負けるので仕方なく参加している」とのこと。

訴状に関しては、被告側弁護士の話によると、相当いい加減なもののようです。裁判所も、朝日新聞などに対する右派の攻撃である事をわかっているとの事。やはり、傍聴する事によって、裁判所の対応は全然違ったものになるとの事です。

それから、処刑された向井・野田の写真が載っている『亜州週刊』の記事が話題になりました。当時の新聞記事を漁ればもっと多くの資料が出てくるかもしれないとのことです。

次の審理は12月1日東京地裁103号法廷で、10時から。傍聴席は90人弱。次回から被告側も具体的に主張を展開するので、面白くなるとのことでした。


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