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最高裁 被告側 上告理由書(東中野修道)

平成20年(ネオ)第404号 損害賠償等反訴請求事件

上告人 東中野 修道
被上告人 夏 淑琴

上告理由書

平成20年7月31日

最高裁判所 御中

上告人訴訟代理人弁護士  中島 繁樹
同 荒木田 修

第一 原判決には憲法第21条(表現の自由の保障)の違反がある。

1.原判決(判決書6ページ)は、「本件記述は、第1審原告がフィルム解説文の『8歳の少女』ではないのに『8歳の少女』として虚偽の証言をしているとの事実を摘示するものであり、第1審原告の名誉を毀損し、第1審原告の名誉感情を著しく侵害するものである。」とした。この判断は憲法21条の表現の自由の保障に違反するものである。

2.憲法21条1項に「言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」とは、情報の流通にかかわる国民の諸活動が公権力によって妨げられないことを意味する。この自由は立憲民主主義の維持及び運営に不可欠である。表現の自由は、人間の精神活動の自由の実際的・象徴的基盤であるとともに、自由の体系を維持する最も基本的な条件であって、その意味で他のほとんどすベての形式の自由の母体であり、不可欠の条件である。表現の自由は優越的地位を有する。
 このような憲法上の保障の下で、上告人が歴史上の事実を検証するという公益目的で意見を表明するときには、仮にその意見表明の内容に他人の名誉を毀損する事項が含まれていたとしても、その言論は憲法の保障の範囲に含まれると言わなければならない。
 憲法21条の保障に包含される限りにおいて、他人の名誉に関係する言論は違法性が阻却される。憲法28条の団体行動権の保障の下において行為者の契約違反や業務妨害の違法性が阻却されるのと同様である。

3.第1審原告はフィルム解説文の「8歳の少女」ではない、第1審原告は「8歳の少女」と称して虚偽の証言をしている、という事実指摘は、第1審原告の名誉を毀損すると言えば言えるであろう。しかし、民主主義社会の情報流通の実際において、事実についての主張の違いは日常ありふれている。他者のいう事実と異なる事実を主張したからと言って、それを直ちに、他者を嘘つき呼ばわりしたことと同一視するわけにはいかない。上告人がした本件記述は、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものではない。上告人の本件記述は憲法21条の保障の下にあり、違法性がない。

4.原判決(判決書7ページ)は、「仮に、本件記述の執筆及び本件書籍の発行に、第1審被告らの主張する上記目的(日本軍第114師団兵らが冤罪であることの主張)があり、これをもって、公益を図る目的に出たものということができるとしても、本件記述が、第1審原告の名誉を毀損し、第1審原告の名誉感情を著しく侵害するものである以上、第1審被告らにおいて、本件記述が真実であることを立証しない限り、上記目的を有することのみをもって、違法性を欠くということはできない。」とする。しかし、違法性阻却を真実性の立証にかからしめようとするその論理は、刑法230条の2の名誉毀損罪不成立要件の問題なのであって、憲法21条の保障が及ぶ範囲を定める問題そのものではない。真実性の立証の可否にかかわらず言論の自由を保障する必要は、厳に存在するのである。

第二 原判決には憲法23条(学問の自由の保障)の違反がある。

1.原判決(判決書6ページ)は、「本件記述は、第1審原告がフィルム解説文の『8歳の少女』ではないのに『8歳の少女』として虚偽の証言をしているとの事実を摘示するものであり、第1審原告の名誉を毀損し、第1審原告の名誉感情を著しく侵害するものである。」とした。この判断は憲法23条の学問の自由の保障に違反するものである。

2.憲法23条に「学問の自由はこれを保障する。」とは、学問が真理の探求にかかわり人類文化にとって格別の意味をもつことを重視して、学問研究そのものの自由を特別に保障しようとする趣旨である。広く個人の学問研究活動及びその成果の発表につき公権力により妨げられないことを意味する。研究教育機関としての大学におけるこれらの自由を保障する趣旨も含むと解される。
 このような憲法上の保障の下で、上告人が学問研究の一環として学術文書上にその見解を表明するときには、仮にその意見表明の内容に他人の名誉を毀損する事項が含まれていたとしても、その見解表明は憲法の保障の範囲に含まれると言わなければならない。
 憲法23条の保障に包含される限りにおいて、他人の名誉に関係する言論は違法性が阻却される。憲法32条の裁判を受ける権利の保障の下において、訴訟当事者の弁論が相手方の名誉を失墜させることがあったとしても原則として違法性が阻却されると解されるのと同様である。

3.上告人は亜細亜大学において法学部教授として政治思想史及び日本思想史を講ずる研究者である。同人は平成12年に設立された日本「南京」学会の会長でもある。上告人が著わした本件書籍は、現在も論争が続いている歴史上の南京事件についてその真相究明のために書かれた研究書である。その研究書の中で上告人は、「第1審原告はフィルム解説文の『8歳の少女』ではない。第1審原告は『8歳の少女』と称して虚偽の証言をしている」という指摘をした。これが被上告人の名誉を毀損する事実の摘示であるとしても、南京事件が現在に至るも重要な歴史上の論争点であってみれば、60年前の歴史的事実に関して学問的検討を加えることの必要性は、明白である。学問研究の場において見解の相違は当然に存する。誰かが主張する事実と異なる事実を主張したからと言って、それを直ちに、その他者を嘘つき呼ばわりしたことと同一視するわけにはいかない。上告人がした本件記述は、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものではない。研究成果の発表が真理探求の作用として行なわれる限り、その自由の保障は絶対的であると解される。上告人の本件記述は憲法23条の保障の下にあり、違法性がない。

第三 原判決には理由不備の違法がある。

1.原判決(判決書6ページ)の認定した事実は、「本件記述は、被上告人がフィルム解説文の『8歳の少女』ではないのに『8歳の少女』として虚偽の証言をしている、との事実を摘示するものであり、これは被上告人の名誉を毀損し、被上告人の名誉感情を著しく侵害する。」ということであった。
 この点について、上告人は違法性阻却事由として上記摘示事実の真実性を立証しようとした。すなわち、被上告人は、真実である昭和12年12月8日(又は9日)の事件の目撃者ではあっても、虚構である同年同月13日の事件の目撃者ではないから、フィルム解説文にいう後者の事件に登場する『8歳の少女』ではあり得ず、したがって披上告人が後者の事件を目撃したと言うのは虚偽であると主張し、その点を立証しようとした(平成20年1月20日付控訴理由書)。そして上告人は同年4月21日に同主張の詳細を明らかにするとともに、同主張を立証する書証(乙第43号証ないし乙第48号証)を提出した。
 しかし上告人が行おうとした上記の立証について原審は、これを許さず、第1回期日の同年3月17日に弁論を終結させ、さらに同年4月21日付の上告人の弁論再開申立にも応じようとしなかった。結局、原審において上告人は真実性の立証の機会を奪われたのである。
 以上は、訴訟が裁判をするのに熟していないのに終局判決を強行した、審理不尽である。民事訴訟法243条1項に違反する。この違反は本件損害賠償義務の成否に影響する法定手続き違背であり、結果として原判決が上記論点について理由を付さない違法を招いた。

2.原判決は上記立証の機会を与えなかった理由として、「本件記述はフィルム解説文がマギーの創作話であることを前提とするものではないから、同事実の存否は本件の結論に影響を及ぼさない」ことを挙げている。しかしそのような認識は誤りである。
 確かに本件記述中においてあからさまに「フィルム解説文は創作話である」とは述べてはいない。しかし本件記述はフィルム解説文の内容の信用性について9個の疑問点を指摘して、日本軍の12月13日犯行説を否定していたのである。9個の疑問点は、第一に、事件の発覚からマギー師の認知まで1か月以上を要したことの不自然さであり、第二に、マギー師を情報源とする資料相互の矛盾であり、第三に、情報提供者の名前が不明であることであり、第四に、夏家の家族のうちの二人だけが殺されなかったことの不自然さであり、第五に、二人の幼児が逃げ出さなかったことの不自然さであり、第六に、二人の幼児が14日間も発見を免れたことの不自然さであり、第七に、傷を負った身で14日間も生き永らえることができたことのめずらしさであり、第八に、二家族だけが12月13日の日本軍入城まで留まったことの不自然さであり、第九に、「7、8歳になる妹」と「8歳の少女」との異同が不明であることであった。これらの疑問が生じたのは結局のところ、日本軍の12月13日犯行説の虚構性にその原因があったのであり、フィルム解説文の虚構性(すなわち創作話であること)は本件記述の前提であった。前記の第九の疑問点だけを見ればフィルム解説文そのものの虚構性を論じてはいないが、上告人は前提として日本軍犯行否定説-すなわちフィルム解説文は虚偽であるとの説-を採ればこそ、9つもの疑問を呈したのであった。
 フィルム解説文の虚構性を明らかにすることは「被上告人はフィルム解説文にいう『8歳の少女』ではない」との事実を証明することであり、それは指摘事実の真実性を証明することであって、その証明が本件の結論に影響を及ぼすことは明らかである。
3.摘示された事実の重要な部分が真実かどうかについて、裁判所は、事実審の口頭弁論終結時において客観的な判断をすべきであり、その際に名誉毀損行為の時点では存在しなかった証拠を考慮することも当然に許される(最高裁平成14年1月29日判決〈判例時報1778号49ページ〉)。「摘示された事実が客観的な事実に合致し真実であれば、行為者がその事実についていかなる認識を有していたとしても、名誉毀損行為自体の違法性が否定されることになるからである。真実性の立証とは、摘示された事実が客観的な事実に合致していたことの立証であって、これを行為当時において真実性を立証するに足りる証拠が存在していたことの立証と解することはできないし、また、真実性の立証のための証拠方法を行為当時に存在した資料に限定しなければならない理由もない。」
 本件摘示事実が真実かどうかは、平成10年の本件記述当時を基準とするのではなく、平成20年の本件口頭弁論終結時を基準としなければならない。この口頭弁論終結時において本件訴訟は終局判決をする程度に熟していなかったものである。

最終更新日 ( 2008/11/02 日曜日 20:38:13 PST )
 
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