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史実を守る会 会報第3号

夏淑琴さん一行が来日

第一回法廷で被害を陳述

   六月二八日から七月二日にかけて、南京事件の被害者・夏淑琴さんや南京市の弁護士の方々が、第一回の法廷に出席して被害状況や意見を述べるために来日しました。これにあわせて史実を守る会では法廷前宣伝や証言集会の開催などに取り組み、大きく運動を前進させることができました。今回の会報では、夏淑琴さんの滞在中の出来事を紹介していきます。

    歓迎!夏淑琴さん御一行
第一回の法廷にあわせて夏淑琴さんが来日すると決まってから、史実を守る会では基本的にその全日程に責任を持つこと、夏淑琴さんたちにとって快適な滞在になることの二点を方針として、本会にとって初めての大仕事となる訪日団の受け入れを、弁護団と連携しながら進めてきました。
 今回、日本を訪れたのは夏さんと義理の娘さんの他に、王竟成さん(南京市弁護士協会会長)・朱成山さん(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館館長)・談臻さん(江蘇法徳永衡律師事務所)・呉明秀さん(同)・常嫦さん(通訳)です。

   6月28日
 史実を守る会のメンバー四人(熊谷・金子・桃井・北原)が歓迎メッセージを携えて一行を待ちました。飛行機が遅れてしまい、お会いできたのは夜9時。夏さんは朝からの移動でお疲れだったと思いますが、笑顔で接してくださいました。レンタカーでホテルに直行しました。

    6月29日
 朝、弁護士開館へお連れしました。翌日の法廷に備えて弁護士との打ち合わせなどが進められ、夜は弁護団の歓迎会が開催されました。

    6月30日
 いよいよ第一回の法廷。朝と昼の二回、裁判所前で宣伝を行ないました。昼は右翼も宣伝に訪れ、その言語道断なプラカードの文言に、本会メンバーの闘争心がかきたてられました。参加者に挑発に乗らないよう注意していた指環氏@戦闘的チラシ隊長がけっきょく一番熱くなっていました。法廷では夏さんが南京事件で受けた被害の状況と、東中野修道の侮辱から受けた心の傷を語りました。法廷後は記者会見と報告集会があり、さらに夜は史実を守る会の歓迎晩餐会が開かれ、本多勝一さんと夏淑琴さんが再会するなど、盛りだくさんの一日でした。

    7月1日
  昼は都内を観光しました。弁護団の渡辺春巳さんの提案で夏さんに補聴器を贈ることとなり、事務局の香取さんと荒川さんが買い求め、お贈りすると、手をたたいて喜んでくださいました。証言集会には一六〇名が参加し、夏さんの証言や笠原先生の解説、中国の弁護士や朱館長の発言に耳を傾けました。若い方の参加が多かったことに夏さんも喜んでおられました。その後は朝まで事務局の打ち上げが行なわれました。

     7月2日
  せっかくの日本滞在ですので、東京観光に夏さん御一行をお連れしました。事務局員の桃井さんが中心となって準備してきたものです。

     7月3日
   いよいよ帰国の日。ホテルからの出発を龍野・桃井・香取が見送り、熊谷が車を運転し、荒川が同行し、成田空港まで見送りました。再見!
(文責:事務局・熊谷)

宣伝で右翼を完全に圧倒!!

   6月30日の夏淑琴さん名誉毀損訴訟第一回口頭弁論、私は「史実を守る会」事務局の一員として、夏淑琴さん支援のビラまき宣伝行動に参加しました。
 「南京大虐殺の否定を許しません! 東中野修道は夏淑琴さんに謝罪せよ」と書かれた横断幕を広げ、ハンドマイクで訴えながら、元気よくビラをまきました。
  用意したビラが足りなくなるくらい受け取りは良かったです。10時近くまでビラまきを続け、いったん休憩。
  正午に再び裁判所前へ行くと、何と右翼が横断幕とプラカードを掲げて宣伝しています。プラカードには「史上最大の嘘 空前の歴史偽造 南京大虐殺」、さらには「指名手配シナ人・夏淑琴に神罸 罪状 大嘘吐き」「シナ・中共の売女・夏淑琴に天罸を」などと書かれています。
  この右翼グループは西村修平という人たちで、過去に松井やよりさんの講演会を妨害、逮捕され有罪になっている他、NHKの番組改竄事件や集英社の本宮ひろ志「国が燃える」連載中止事件などを引き起こしています。
  もちろん、彼らが先に来ていたからといって、ひるむ我々ではありません。しかも、向こうが中高年の男性数名に過ぎないのに対し、こちらは若者ばかりの20人を超える集団です。堂々と横断幕を掲げ、断固とした宣伝行動をやりぬきました。
  それにしても、南京大虐殺はデッチアゲだと叫び、被害者を中傷する一握りの中高年グループと、日本の過去の戦争責任と真面目に向き合おうとする大勢の若者、という構図は現代日本の縮図のような感じがします。しかし、こういう一握りの少グループの傍若無人な振る舞いに見て見ぬ振りをして、結果として許してしまうことは問題だとも言えます。
  この後、傍聴券の抽選があり、さらに、夏淑琴さん、弁護団、支援者で入廷行進がありました。この入廷行進でも、夏淑琴さんに向かって口汚い中傷の言葉を浴びせる人がいて、私もブチ切れそうになってしまいました。
  さて、午後1時10分からの口頭弁論ですが、夏淑琴さんはご高齢にもかかわらず、堂々と意見を陳述し、実に立派なものでした。傍聴席では拍手ができないのが本当に残念です。
(事務局・指環)

宣伝に参加して

南京大虐殺の否定を許さない ——
という思いを持ってはいたが、今回、実際に裁判の現場を見て、南京事件を否定する人や証言者の夏淑琴さんを侮辱する人がいるのには正直ショックだった。南京事件からすでに60年以上経過しているが、日本は未だに戦後補償をしていないし、今も夏さんをはじめ、苦しんでいる人々がいるということを認識しなければいけないと感じた。
 南京事件は紛れもなく史実だし、事件から60年以上たった今、具体的な戦後補償を考えることが重要なのに、事件があったなかったという議論をしている場合ではないと思う。でもこれが今の日本の現状だし、この現状を変えるためには日本の加害の歴史を伝えていく必要があると強く感じた。
 今の歴史教育では被害の歴史ばかりに目を向けられているが、加害の歴史を知ること、そしてそれを伝えていくことの大切さを感じた。
(学生)

夏淑琴名誉毀損訴訟の報告  穂積 剛

   二〇〇六年六月三〇日、夏淑琴名誉毀損訴訟の第一回口頭弁論が開かれました。法廷は一〇三号大法廷。東京地裁で一番大きな法廷です。
 中国からは、夏淑琴さんご本人のほか、地元南京の律師(弁護士)ら総勢七名がこの日のために来日しました。東中野教授らを被告とした中国での裁判を担当している江蘇法徳永衡律師事務所の談臻、呉明秀の二人の律師、それに南京市律師協会の王竟成会長や、南京大屠殺紀念館の朱成山館長らも、今回このためだけに来日してくれました。
 このうち談臻律師については、裁判所が特別に補佐人として許可してくれたため、法廷でも傍聴席ではなく当事者席に着席することが認められました。中国人の律師が日本の裁判所で補佐人として許可され意見陳述を行なうのは極めて異例のことです。
 この訴訟は、二〇〇〇年一一月に中国の南京で夏淑琴さんが東中野教授らを被告として名誉毀損訴訟を起こし、実際にも二〇〇二年一一月に南京で裁判が開かれたのに、東中野教授や出版元の展転社は呼び出しを受けた南京の法廷には出廷せず、逆にその二ヶ月後の二〇〇三年一月に、夏淑琴さんを被告として日本国内で「債務不存在確認訴訟」を提起してきたものです。「債務不存在確認訴訟」とは聞き慣れない名称かも知れませんが、要するに、《私は名誉毀損なんかしていないから、夏淑琴に賠償する義務なんかないことを確認して下さい》という裁判のことです。
 この裁判の呼出状が、今度は日本から夏淑琴さんに送達され、それで夏淑琴さんは日本の弁護士たちに事件を依頼することになりました。
 しかし、《賠償義務のないことを確認して下さい》という裁判に勝っても、夏淑琴さんは東中野教授から賠償金を取れるわけではありません。損害賠償を東中野教授らから取るためには、やはり日本においても名誉毀損による損害賠償請求訴訟を別途提起する必要があります。そこで、二〇〇六年五月一五日、問題の書籍『「南京虐殺」の徹底検証』の著者である東中野修道教授、出版社展転社に対し、慰謝料等一二〇〇万円の支払いと全国紙各紙への謝罪広告掲載などを求め、夏淑琴さんが日本でも裁判を起こしました。これが、日本における「反訴」です。
「百人斬り訴訟」と違い、東中野教授らの代理人となったのは、「新しい歴史教科書をつくる会」の現副会長である?池勝彦弁護士と、福岡の中島繁樹弁護士の二人だけ。東中野教授は出頭しませんでした。一方こちら側は、日本人弁護士九人、中国人律師一人の他に、夏淑琴さん本人や通訳など総勢一一名が並びました。
 訴訟手続としては、相互に訴状と当方の答弁書、反訴状と相手方の答弁書を提出した後に、最初の訴訟である「債務不存在確認訴訟」が取り下げられることになりました。というのは、夏淑琴さんが反訴として名誉毀損訴訟を提起した以上、名誉毀損の有無や賠償金額の判断などはこの「名誉毀損訴訟」の中で判断すればいいのであって、これとは別に「債務不存在確認訴訟」を存続させておく意味がなくなったからです。そのため、裁判所の示唆もあり、「債務不存在確認訴訟」は取り下げられることになりました。
 このような手続を終えた後、夏淑琴さんの意見陳述が始まりました。実は幼い頃に悲惨な被害に遭い、その後も極貧生活を送ったことから、夏淑琴さんは文字の読み書きもできません。しかも夏さんは、事件のことを話し始めると激情のせいで自分をコントロールできなくなってしまうので、およそ制限時間内で話をするなどということができないのです。
 そのため、意見陳述の事前の打合せは困難を極めたのですが、実際の本番ではたいへん素晴らしい意見を堂々と述べてくださいました。途中で傍聴席にいた右翼が不規則発言をするというハプニングもあったのですが、夏さんは些かもこれに動じることなく、最後まで毅然として意見を述べました。
 夏さんは、自分が南京虐殺の時に一家七人を殺される被害を受けたこと、そのときに受けた傷が未だに身体に残っていること、妹と二人だけが生き残りその後の生活も困窮を極めたこと、ようやく晩年まで生き延びたのに、東中野教授にニセ証言者だと中傷されたことが、どれほど屈辱的なことだったかを裁判所に必死に訴えました。そして、このように傷つけられたことから南京で裁判を起こしたのに被告らが出頭もしなかったから、自分の方から日本に乗り込んで対決しようと決意したと話しました。途中、何度も声をつまらせ涙を流しながらでしたが、極めて格調高く説得力のある感動的な陳述でした。
 これに続いて、南京の談臻律師の意見陳述も実現でき、談律師は、東中野教授の著作が学術論文に値するとは評価できないこと、中国での裁判のために夏淑琴さんの来歴を徹底的に検証したが、この人こそマギーが書き残した被害者夏淑琴本人に間違いないと指摘して、裁判所に公正なる判決を求めました。
 これに対し、相手方の中島繁樹弁護士が意見陳述をしましたが、この書籍は「研究書」なのであって、今回の裁判は言論の自由・学問の自由に対する不当な弾圧である、またこの書籍では東中野教授は「評価」を述べただけであり、「夏淑琴さんがニセモノだ」との虚偽の事実を摘示したものではないという内容でした。裁判所前では右翼の諸君が夏淑琴さんを「大嘘吐き」などとする宣伝をしていましたが、肝心の東中野先生はそのように考えていないようです。
 当日陳述された反訴の答弁書において、相手方はこの書籍の記述につき、以下のように述べていました。そのまま全文引きます。
《本件書籍には「八歳の少女と夏淑琴は別人と判断される。」という著者の解釈が述べられているにすぎないのであり、それ以上に反訴原告そのものを誹謗するものではない。
 また、上記の著者の解釈は一九三八年当時作成された原資料に基づくものであり、著者が上記の解釈を正しいと信ずるについて相当の理由がある。》
 これが東中野教授の主張の全てです。普通であれば、では「原資料」(マギーの解説)のどの部分をどのように解釈すれば「相当の理由」があることになるのかについて、それこそ一つ一つ根拠を上げながら主張していくべきはずですが、それすら何一つ指摘がありません。法廷で裁判所は、てっきりこれから詳細な主張が東中野側から出てくるものだと思っていたようです。それが、上記に引用したのが全てだと言ったものだから、裁判所も当方も本当に驚いてしまいました。
 これは推測ですが、おそらく相手方はこの訴訟に負けることは覚悟した上で、東中野教授の本人尋問だけは何としても避けたいという戦略なのではないでしょうか。あれだけ南京事件の否定書を大量に出版している東中野教授が、裁判所という衆人環視のもとで、かつての松村某氏のようにボロボロに崩されてしまうことを、一番警戒しているのではないかと推測できるのです。
 よって今後の訴訟進行の焦点は、東中野教授の本人尋問が実現できるかどうかに移っていくものと思われます。
(ほづみ たけし 弁護士)

裁判を傍聴して

   当日は夜勤明けで、しかも昼近くまで勤務していたため、東京地裁前に到着したのは正午を過ぎていました。正直体調が良いとは言えない私を襲ったのは右翼の大音響で、残り少ない体力を奪われていくような気がしました。しかし皆様が必死にアピールしている姿に元気づけられました。
 私にとって裁判の傍聴は初めての経験でした。右翼側が傍聴席の約半数を占めていた印象を受けましたが、彼らも約数名を除いて行儀よく傍聴しておりました。しかし「裁判長、異議あり!」と叫んだ右翼は、傍聴者には発言する権利などないことすら知らないようです。
 しかも裁判長に注意されても「こちらが後ろの人に挑発されているんですよ」と開き直る始末。「静粛にしなければ退廷を命じます」と忠告されてやっと沈黙しました。
 余談はさておき、東中野側はあっさりと「債務の不存在確認」を取り下げただけでなく、「今まで言うべきことは言った。もう主張することはない」という淡白な姿勢を見せたことに裁判長も拍子抜けだったようです。東中野側には打つ手が無いのでしょう。
 次回の法廷の傍聴席は今回より少ないそうなのでクジ運の極めて悪い私は抽選で落選する公算が大ですが、この裁判は意外と速やかに決着が付く予感がします。
(事務局・高橋)

報告集会

   裁判の後、弁護士会館にて、裁判の報告集会が行なわれました。傍聴券の抽選に惜しくもはずれ、傍聴できなかった人たちも、この報告集会での夏さんや弁護士さんのお話から、裁判のようすを知ることができました。
 まず、夏さんの裁判に至るまでの事件の概要について、事務局の熊谷さんが説明。その後、夏さん裁判を担当する弁護士の穂積さんから裁判の報告がされました。そこへ、記者会見を終えた夏さんや中国の弁護士さんたちが到着しました。まず、弁護士である談さん、南京大虐殺記念館館長である朱さんのお話と続きました。
 最後は、夏さんから口頭弁論を終えての今の気持ちなどを語っていただきました。夏さんは、法廷から出てきたばかりで少々、感情が高ぶっておられたようですが、しっかりとした口調で話されていました。また、報告集会に参加した参加者からの言葉にも熱心に耳を傾けておられました。ちなみに、そのとき発言したのは私なのですが、私のほうをまっすぐに見つめる夏さんの目を今でもしっかりと覚えています。夏さんの裁判に込められた思いがひしひしと伝わってくるようでした。
 また、参加された多くの方に、史実を守る会への趣旨に賛同していただき、たくさんのカンパもいただきました。
 ここには、マスコミも駆けつけ、翌日の新聞などでも報道されました。
「人民網日本語版」で報道された記事はインターネットで見ることもできます。
http://people.ne.jp/2006/07/01/print20060701_61072.html
【7月1日「人民網日本語版」】
(事務局・武井芙由子)

夏淑琴さんの証言をきく集い

   七月一日に渋谷のウィメンズプラザで開催した証言集会には一六〇人を超える参加がありました。
 夏淑琴さんの証言をはじめ、笠原十九司先生の解説や中国からの南京大虐殺記念館の館長のお話など、非常に充実した内容でした。参加者のおおむね半数が青年・学生であり、次代を担う人々に、かつて日本が起こした侵略戦争のなかで被害を受けた人の証言を聞いてもらえたことは、何よりも大きな成果です。

夏淑琴さんの証言

   私は、昨日、法廷に出て証言をしてきました。
 忘れもしないあの日、一九三七年一二月の寒い日でした。大勢の日本兵が、私の家族九人の住む場所に乱入してきたのです。扉を開けた私の父は、大勢の日本兵によって、銃で射殺されました。日本兵は、全員銃剣を持っていて、何人かは、その銃剣の先に日の丸の旗を掲げていました。その姿を私は忘れず、ずっと覚えています。
 祖母が子ども五人を連れて、後ろの部屋に行き、私たちを隠しました。しばらくして、大勢の日本兵が私たちが隠れている部屋に押しかけてきました。日本兵は祖父母を外に連れ出そうとし、祖父母は抵抗しましたが、射殺されました。
 子どもたちもすぐに見つかり、私の上のお姉さんは連れ出されて、その場で強姦されました。私も、日本兵に切り付けられて、肩と脇と背中の三ヵ所に今でも傷跡が残っています。
 銃剣で刺された私は、その場で気を失いましたが、妹の泣き声で気が付きました。部屋を見回すと、死体だらけでした。ベッドの上で一番目の姉が裸にされて死んでいました。私は泣きながら姉の体を揺らしましたが、反応はありませんでした。二番目の姉もテーブルの上で裸にされて死んでいました。
 今、思い出しても涙が止まりません。私の一番上の姉はまだ17歳、二番目の姉はまだ14歳でした。野獣のような日本人に乱暴されたのです。
 私と妹は泣きながら外へ行って、お母さんを探しました。しかし、発見したお母さんの姿も裸にされた死体でした。一番末の妹はまだ、赤ん坊ですが、地面に叩きつけられて死んでいました。こんな酷い状況を思い出すたびに、どうしても涙を抑えられません。
 私の家族は三世代に渡り九人いたのですが、七人が一瞬のうちに死んでしまいました。私と四歳の妹はそのときから孤児になりました。
 私と妹は、家族を殺されたその家に残り、しばらく隠れて生き延びましたが、食べ物がなく、鍋に残ったおこげを食べたり、雨水を飲んでしのぎました。その後、ある老婦人に発見され、母の親族のおじさんが私たちを引き取りました。
 おじさんの家にも三人の子どもがいて、おじさんには五人の子どもの面倒をみる余裕はなく、妹は孤児院に預けられました。孤児院で過ごした妹も同じような苦しい人生を歩んできました。私も妹もさびしく、悲しいかった思いを、いつまでも忘れることができません。
 私は子守や洗濯、掃除をして働きました。なるべく昔のつらかった時代の事を思い出さないようにして過ごそうと思っていたのですが、それは許されませんでした。私は、日本の学者によって書かれた本の中で、ニセの証言者と決め付けられました。私はそのことを知って、とても憤りを感じました。はらわたが煮えくりかえるような思いでした。なぜ、そんな悲惨な記憶を今さら思い出さなければならないのでしょうか。
 私は、日本の学者、東中野と松村によって「ニセモノ」と決め付けられました。私の過去の傷に加え、さらに「ニセの証人」と言われて、精神的にも傷つきました。これは二度目の被害です。私はその憤り、悲しみを感じながら、中国で弁護士をお願いして東中野氏と出版社を相手取って名誉毀損で訴えました。法廷も合わせて四回開き、被告に出廷の通知も出しましたが、一度も中国の法廷に現れませんでした。そして、今度は私が被告になりました。日本で、東中野氏が私のことを訴えたのです。東中野氏は学者とききましたが、これでも学者といえるのでしょうか。私にききとりもせず、勝手に「ニセの証言者」と決め付けて。その苦しみ、憤り……、どうしても堪えられません。この度、東京で対決しようと思っていましたが、彼は現れませんでした。
 本当のところ私は、自分の体験は心の中に秘めて話したくないのですが、中国で私は生存者として語ってきました。それは、日本の軍国主義が起こした戦争の悲惨さ、酷さを訴えるためです。
 いま私が流している涙は、私の話を聞いている大勢のみなさんが私を支えてくれている、という感動でもあります。
 私は七七年生きてきて、悲惨な経験を語っているのは、こうしたことを二度と繰り返させないためです。歴史の真実を守って、正義を諦めないために私の体験を語っています、日本のみなさん、このことを心にとめて、正義のために平和のために真の日中友好を築いていきましょう。ありがとうございました。

南京大虐殺記念館館長 朱成山さんのお話

   法廷に入る前のことですが、ひとつ忘れないシーンがあります。私が入ろうとしてるときに横から一人の若者が、夏さんを指して「にせものだ!」というようなことを言いました。とても耳障りに感じました。それは、日本の多くの人の意見を代表している言葉ではないと思いますが、ひょっとしたらこの人は、東中野氏が広げた嘘の真実を信じ込んでいるのではないかと思います。真の証言者である夏さんが面と向かって罵られたことは、夏さん本人にとってどれほど辛いことでしょう。嘘を言った人は誰でしょうか。そしてその嘘を信じ込んで広めた人は誰でしょうか。
 なぜ東中野氏は、去年亡くなった李秀英さんやこの場にいる夏さんをニセの証人と決め付けるのでしょうか。私は不思議でしかたありません。
 私たちは簡単に南京大虐殺の生存者を認定するわけではありません。必ず、時間や地域を確認する作業をします。夏さんはまさに被害者本人です。本人の身分をきちんと調べ、その傷跡も証言も確認し、さらに多くの資料を総合的に確認した上で、私たちは、夏さんがまぎれもなく南京大虐殺の生存者であることを確信しました。
 南京大虐殺の生存者の調査は何度か行なわれてきました。80年代、90年代には何度か大きな調査活動を行ないました。その中に夏淑琴さんも含まれています。記録や資料によって、その被害事実が確認されています。生きている証人であることは間違いありません。
 東中野氏は、なぜ李秀英さんと夏淑琴さんという明らかに生き証人といえる人をあえて選んで嘘を言い続けるのでしょうか。その根底にあるのは、典型的な事例を否定し、歴史的事実を抹殺しようという魂胆であります。
 何年か前、日本の弁護士が中国へ出向いてきて、亡くなった李秀英さんについて、私に意見を求めました。私は、文章で、「本当のものは本当のものです」と書きました。
 それを、今一度、ここで確認したいのです。本当のことはゆるぎなく本当であり、変わることはありません。偽者はあくまでも偽者です。
 私たち中国人にとっては被害の事実であるけれど、日本の皆さんにとっては加害の事実であり、それを感情的に素直に受け入れることは難しいだろうと思います。しかし、歴史の事実はゆるぎなく疑いのないことです。
 私はこの場で、去年亡くなった元日本兵の東史郎さんの言葉を皆さんに贈りたいと思います。
「歴史を尊重する人は歴史によっても尊重される。歴史を否定する人は歴史によっても否定される」
 この言葉を、私は誰よりも、東中野という人に送りたいと思います。
 夏淑琴さんを支持し、この裁判を支援し、二度目の加害を許さないと行動している皆さんに、私は強く感謝を申し上げたいと思います。

夏さんのお話をきいて

   戦争被害者の方のお話を聞くたびに胸をナイフでえぐられるような気持ちになります。今回の夏さんのお話も、途中涙を流しながらご自分の体験を語ってくださる夏さんの姿に、言葉ではあらわせない感情がこみあげてきました。
 夏さんの体験されたことはもちろんのこと、高齢になってまでも自分のつらすぎる体験をみんなの前で話さなければならないという事実に歯痒さと悔しさを覚えます。夏さんの素晴らしい笑顔を一点の曇りもないものにするために頑張っていきます。
(事務局・伊藤喜久恵)

夏淑琴さんと浅草へ

   証言集会の翌日は、浅草観光をすることになった。遠路はるばる来日された中国の方々にも、せめて少しは気楽になれる時間を過ごしてもらいたい、そうした思いからの企画だった。
 午前9時30分、後楽賓館に集まり、浅草に直行した。夏さんの体調など、心配な点もあったが、特に問題なく浅草に行けた。驚いたのは、大変元気な様子で夏さんが浅草の街を闊歩する姿だった。伺えば、毎日朝5時に起き、体操をし、規則正しい生活をしているためとのこと。頭が下がります。
 途中、浅草でいくつかのグループに分かれて買い物することになった。僕たちは夏さんに付き添った。夏さんは「孫のために何を買ったらいいかしら」と御土産選びに一生懸命だった。こうして一緒にいると、夏さんは笑顔の似合う、普通の心やさしいおばあちゃんだなという印象を受ける。そして、おそらくそれは間違っていない。夏さんはこうした平和な、穏やかな時間の中で人々と過ごすのが何よりも楽しそうで、生き生きしていた。同じ時を過ごした僕たちも、夏さんの幸せそうな様子が見られて嬉しかった。

 午後は水上バスでお台場までいった。夏さんは普段、滅多に海を見る機会はないので、興味深げに辺りを眺めていた。僕たちは「海は初めてですか?」と尋ねた。すると夏さんから「いえ、前回証言をしに広島にいったときに、船に乗りました」という答えが返ってきた。そして、今までの穏やかな表情がうって変わって深刻になり、大久野島で、毒ガスの被害にあった人と出会った話を語ってくれた。僕は思った。ああ、普段元気にしていても、やっぱり戦争抜きで夏さんという人を考えるのは不可能なのだと。忘れたくても忘れられない過去を抱えているからこそ、毒ガスの被害者に深い共感を感じるのだろう。侵略戦争という土台の上に成り立っている僕たちの生活・社会は、いつになったら夏さん達の平和を取り戻すつもりなのだろうか。
 お台場に着き、最後に記念撮影をし、後楽賓館に戻った。写真を撮るときの皆さんの表情、満足そうだった。良かった、こちらも満足。
 帰りに乗った無人モノレールに中国の弁護士の方々は興味深げだった。「日本は技術で、中国は資源で協力し、友好関係を作っていければいい」と熱く語ってくれる。彼らは日本と仲良くなる道を探っている。靖国神社や教科書問題で、やれ「自虐史観」云々と騒いでいる日本の現状が悲しい。戦後責任を誠実におこなっていくのは本来ポジティブな行為なのだと誰かが言ってたが、まさしくその通りだ。僕らが相手の声に応えたら、その返答はやってくる。日中友好、不可能なことじゃない。ただ、今後の僕らの行動にかかってくる、それだけだ。
(事務局・桃井)

南京市・江蘇法徳永衡弁護士事務所 談さんからのメッセージ

   このたび、私は中国南京市の一職業弁護士として、南京大虐殺の生存者である夏淑琴さんに付き添って、東京地方裁判所に出廷するために来日したことは、とても意義のあることだと思います。それは、日本の司法機関を尊重する私たちの姿勢を示すだけでなく、夏淑琴さんがあえて日本の法廷に立ち、その審理を受ける勇気を表明することにもなりました。
 さる六月三〇日の法廷で、私は夏淑琴さんの補佐人として意見を述べる機会を得られました。私がのべた意見は下記の二点です。
 第一点、いかなる研究においても、必ず全面的に客観的かつ公正な原則に従わなければならないと私は考えますが、しかし、本案の原告である東中野修道氏はこの基本的な原則に反し、南京まで来て実地調査をすることもなければ、夏淑琴さん本人に対して直接に聞き取り調査もしていません。それでいて『南京大虐殺の徹底検証』という著書のなかで、一部の資料にある単なる言葉遣いの誤りや瑣末な違いをもって、夏淑琴さんの被害を軽々しく否定しました。この種の「学術研究」は、必ず誤った結論を導きます。その目的は公益ではなく、むしろ読者を誤った方向へ導こうとする企図によるものであり、南京大虐殺という歴史事実の存在を根本的に否定しようとするものです。
 第二点は、中国・南京市玄武区法院(裁判所)で、現在も審理中の夏淑琴さんによる東中野修道および展転社を相手取った名誉権侵害の案件において、私たちは夏淑琴さんの身元や被害の事実について、きちんとした緻密な調査を行ない、法廷に大量の証拠資料を提出し、そして南京大虐殺の中で夏淑琴さん一家が体験した悲惨な事件は決して虚偽なものではないことを充分に証明したことを指摘したいと思います。
 夏淑琴さんが生き残った八歳の女の子であることは疑いを差し挟む余地のない史実です。しかし残念ながら、南京の法廷で行なわれた二回の審理には、被告の東中野氏も展転社も、いずれも応じなかったのです。これはいったい、何を物語っているのでしょうか?
「歴史に鑑み、未来へ向かおう」ということは、日中両国の人々が子々孫々にいたるまで友好的に付き合っていく基礎です。歴史を忘れるのは即ち歴史の発展に逆行することです。歴史を忘れるべきではありません。南京大虐殺は改ざんや歪曲することを許さない史実なのです。その史実を隠匿しよう、希薄化させよう、ひいては改ざんしようとする動きはすべて誤りです。
 今回の来日では、嬉しいことに私たちは多くの日本の国民、とりわけ多くの若い世代の方々が「史実を守り、正義を広める」という理念のもとに集まっているのを見ました。これは私たちと日本の弁護団とがを携え、この訴訟を勝ち抜く自信を、さらに力づけました。
 私たちは、東京地裁が社会の正義や公正を擁護し、法律に基づいて、夏淑琴さんの名誉を回復すること、東中野修道と展転社による名誉侵害に対する謝罪と賠償の責任について、正しい判決を下すことを確信しています。

中国・南京市 江蘇法徳永衡律師事務所
談 臻 

会計報告

収入の部
●振込カンパ ?21万1100
   夏さん来日カンパとして振り込まれたもの   (7/18日現在)
●集会カンパ ?4万2281  各集会でのカンパ
●集会参加費 ?12万2500   7/1集会参加費  一般93人
                     学生59人
●収入計  ?37万5881円

支出の部

●7/1会場費 ?70500 7/1ウィメンズプラザ会場費と付帯施設使用料
●送迎費 ?62819 レンタカー・ガソリン・高速・駐車場
●飲食費 ?60685 歓迎会中国側費用・7/2観光時昼食代
●交通費 ?23090 移動時の交通費(タクシー除く)
●タクシー代 ?10670 移動時のタクシー代
●通訳料 ?10000 7/1集会通訳料
●記念品代  ?33275 記念品・おみやげ・花束
●雑費 ?2599 ビデオテープ・傘・段ボール

●支出計 ?27万3638円

※紙代・印刷費・郵送料については会報と集会チラシ・集会資料が一体となっていて分類不能なので計上しませんでし    た。それらについてはあらためて年度末に一般会計として報告いたします。
※参考までに、この間の紙代・印刷費・送料(郵送料)の合計は三万七九七九円ですので、その半分が夏さん来日に関係す   るものと仮定すれば、約一万九〇〇〇円となります。会報も夏さん来日に関連して作られたものだと考えて、これも     来日関係費用に含めるとすれば、支出計三万一六一七円になります。
 また、カンパは七月一八日までに会計に入金した分(払込日は一四日)です。それ以降も入金があることが予想されます    ので、上記は暫定の収支報告になります。

   この度の夏淑琴さん来日に当たっては、多額のカンパをはじめ、本当にたくさんの方々からご支援いただきました。夏さんを日本に迎え、無事に中国へと送り出すことができたのも、このご支援あってできたことです。この場を借りて、お礼を申し上げます。ありがとうございました。

亜細亜大学の中心で東中野に謝罪要求を叫ぶ

   東中野亜細亜大学教授の「南京大虐殺に関する講演」が行われるとのことで、史実を守る会事務局として、抗議行動をして来ました。「講演への参加」と「会場前での抗議」の二本立て行動を計画し、わたしは抗議行動に参加しました。
 抗議行動をどこでやるか。迷いましたが、亜細亜大学の中を通る公道上(敷地内だと、相手に弾圧の口実を与えてしまいます)があり、しかも会場建物の目の前を通っているという絶好のロケーションだったので(我々の横断幕は、受付から丸見えだったそうです)、じゃあここにしようと衆議一決。さっそく横断幕を広げ、いよいよチラシ隊長の第一声です。「南京大虐殺の被害者、夏淑琴さんを偽物呼ばわりする東中野教授は、直ちに謝罪をせよ」。よく通る声が校舎に反響して響き渡りました。
 亜細亜大学の事務職員が出てきて「許可がいるんじゃないか」「スピーカーは授業の迷惑だからやめろ」などと、抗議行動を妨害しましたが、公道上ですので問題なし。授業に配慮して、とりあえずスピーカーはやめましたが、我々の存在は東中野教授にもバッチリ伝わったらしく、講演の中で「言論弾圧だ」というような[反論]をしていたようです。

   相手の土俵に出かけていって抗議するという、我々としては初めての行動でしたが、やっただけの成果はあったと思います。戦争の被害者を2度殺すような真似は断じて許さない、そのためにも、今後もいろいろと活動していきたいと思います。
(文責:事務局員A・I)

基礎的な史料を知らない東中野

 七月一五日、亜細亜大学における東中野修道氏の公開講座での質疑応答の模様を紹介したいと思います。
 私の質問の主旨は、H・J・ティンパレー編『戦争とは何か』が国民党の資金によって書かれた宣伝本であったという主張は間違っているのではないか、というものでした。
 東中野氏の見解では、『戦争とは何か』は、第三者的な立場から戦争の被害を訴えるために書かれたものではなく、国民党が資金を提供して書かれた宣伝本であった、ということです。今回の講義ではその根拠として、東中野氏が発見した「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概況 一九三八年〜一九四一年四月」を挙げていました。この史料では「本処が編集印刷した対敵宣伝書籍は次の二種類である」としてその一つに『戦争とは何か』が挙げられています(東中野修道『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』(草思社、二〇〇六年五月、一九ページ)。また、講義では触れられていませんが、『戦争とは何か』が国民党からの資金によって書かれた宣伝本であることの根拠として、同書の英語版と漢訳版が同時に出版されていること、国際宣伝処長であった曽虚白の自伝『曽虚白自伝』において「お金を使って頼んで、本を書いてもらい、それを印刷して出版した」という記述があることの二点を指摘しています(東中野、前掲書二〇ページ)。
 ところが、この東中野氏の見解に対しては、井上久士「南京大虐殺と中国国民党国際宣伝処」(『現代歴史学と南京事件』柏書房、二〇〇六年三月)において反論がなされています。井上氏の反論において重要な点は、「中央宣伝部国際宣伝処民国二十七年工作報告」という史料が紹介されていることです。
 この史料では「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」(同書二四九ページ)と書かれています。つまり『戦争とは何か』は、東中野氏が主張するように国際宣伝処から資金提供を受けて書かれたのではなく、すでに書かれていた原稿を国際宣伝処が買い取り、翻訳し出版したということです。もちろん、この報告の記述は『曽虚白自伝』と一致しませんが、同報告は当時書かれた公文書であり、史料的価値が高く、信憑性が高いことは一目瞭然だといえるでしょう。
 私は質疑応答の際、以上のような史料があり反論がなされているということを指摘し、この史料に対する東中野氏の見解を伺いました。ところが驚いたことに、東中野氏は、井上氏の反論も「民国二十七年工作報告」も知らないと答えました。私は、やむをえず、その史料を読みあげ、再度見解を伺ったのですが、東中野氏は予備知識がなく、また私の説明にも足りない点があったこともあり、なかなか論点が理解できないようでした。その後、いくつかやり取りをへて、東中野氏も論点が理解出来たようでしたので、私は、この史料の存在により見解を修正すべきではないかと問い質しました。これに対し東中野氏は、『曽虚白自伝』の記述を根拠として、見解を修正する必要はないと主張しました。もちろん、『曽虚白自伝』と「民国二十七年工作報告」の史料的価値の違いは明白です。その点を指摘すると、東中野氏はその反論が適当ではないと気付いたようです。しかし、それでも東中野氏は自身の主張を修正しようとはせず、講義で述べていた「ベイツが不法殺害を五度も否定した」という「
事実」をどう思うかと私に質問をした上で、そのことが根拠となるかのような主張しました。これは本来の論点とは関係ないことであり、反論にはなっていないのですが、とりあえず私としても一応反論しようと思った矢先、時間が長すぎるという理由で質疑を打ち切られてしまいました。
 以上のような質疑応答でしたが、まとめると、東中野氏はこの問題に対し意味のある反論は出来なかったと言えると思います。中途半端な質疑で終ってしまいましたが、ある一定の成果は出せたのではないかと思っています。
(文責:事務局員K‐K)

東中野の「苦虫を噛み潰した表情」

 私は質問組として会場に入り、ひとくさり、東中野の「軍人は殺したが違法じゃなかった」といったコテコテの否定論を聞かされた後、質問の時間に。
 K‐Kさんへの返答につまった東中野先生は、途中で逆ギレしてK‐Kさんに逆質問をはじめ、しまいに「あなただけにマイクを独占させるわけにはいかない、他の人!」と言ったので、すかさず私が「質問!」といって手をあげました。
 その瞬間の東中野先生の顔は、私の生涯のなかで見た、もっとも典型的な「苦虫を噛み潰した表情」でありました。
 というのも、授業の途中まで私がビデオ撮影していて、それに気がついた東中野が私に撮影中止を要請する一件があったのです。
「先生は南京で民間人の虐殺が一人もなかったとお考えですか?」というのが私の質問です。先生はそれまでの滑らかな口調から一転して、目を大きく見開いて、一言ひとこと、言葉を選んで、慎重に、「当時の資料からは民間人虐殺があったという事実は得られない」という返事で
した。そこで重ねて、「しかし、実際に被害にあった人が証言をしているではありませんか。それを先生は否定するのですか?」と聞いたところ、「その質問には答えられません。裁判になります」とのことでした。内心で「もう裁判になっとるやんけ」と思いつつ、マギーのフィルムについて話を進めたところで、すでに時間も越えていたことから、会場から「議論は別の場所で」という声があり、司会者に止められました。
 授業が終わった後、東中野先生にニコヤカに話しかけたところ、「君はなんだ、不愉快だ!」とケンモホロロの扱い。そこで「それじゃつづきは法廷でよろしくお願いします」と言ったのですが、無視されたので、重ねて「先生、ぜひ特攻精神で法廷へ!」と要請しておきました。
 帰り際、参加していた数人の市民の方から激励されました。白髪のおじいさんは、「いい質問だった、あんな講義は話にならん!」と言っていました。
 議論にならない、議論ができないのは東中野だけではなく歴史修正主義の特徴でしょうが、とりわけ東中野は「話にならん」度合いが高いのではないかと思ったのでありました。
(文責:事務局員:K・S)

新事務局員からのメッセージ

●はじめまして、伊東と申します。このたび新しく事務局員になりました。私は南京事件の細部まで理解しているとは    言えませんが、この事件は歴史的にみて日本が起こした戦争加害の中でも大きい事件の一つだと考えています。文字    通り「同じ過ちを二度とくり返さない」ためにも、まずは歴史を正しく認識、伝承していくことは非常に重要なこと    であると思います。それが自国の加害であるならばなおさらです。日本は沖縄を除くと本土決戦はなく、また原爆投    下が事実上の戦争終結となったため、どうしても被害者意識が強く加害に目を背けがちだと思います。しかし、本当    に大切なことはきちんとした事実を知ることだと思います。
  まだまだ未熟であり学ぶことばかりだと思いますが、きちんとした史実を守っていくために頑張りますのでこれから    よろしくお願いします。
  (伊東)

●このたび事務局の一員に加えていただいた高橋と申します。ネットを通じて歴史に関心を持ちましたが、日本の加害    事実を否定し戦争被害者を偽証言者呼ばわりするような言動が世にはびこっていることに憤りを感じていました。
  さらに、このような言動によって実際に夏淑琴さんのように苦しめられている方々がいることを知り、決して黙視し    てはならないと思い知らされました。
  また、強制連行された方々の遺骨の問題や、遺棄されたままの毒ガス弾による被害など、解決されていない問題が多    々ありますが、これらにも歴史歪曲の手が加えられようとしています。
  あの戦争で何が行なわれたのか正しく認識し、被害の実態を解明し必要な補償を行うことが、これからの日本の進む    べき道だと思います。よろしくお願いします。
  (高橋)

●はじめまして。K‐Kと申します。今回の裁判は、夏淑琴さんの名誉を回復するという目標と同時に、歴史認識問題の   中心的な課題である「南京大虐殺の史実」を守るという重大な意義を持っています。
   保守派の歴史攻勢が盛んな中、このような意義のある裁判を行なうということは、リスクがあると同時に、その過程     において正しい史実を広く伝えることが出来るという大きなメリットがあり、これは裁判の勝利と同じくらい重要な   意味があると思います。
   裁判に勝ち、夏さんの名誉を回復するということを契機に、保守派の歴史攻勢に反撃を加えていきましょう。今後と     もよろしくお願いします。
  (K—K)

最終更新日 ( 2008/06/17 火曜日 10:55:01 PDT )
 
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