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東京高裁 被告側 控訴理由書(2)

平成19年(ネ)第6002号 損害賠償請求事件
控訴人(一審反訴被告) 株式会社屋転社 外1名
被控訴人(一審反訴原告)夏 淑琴

控訴理由書 (2)
平成20年1月11日
東京高等裁判所 第12民事部 御中

被告ら訴訟代理人 弁護士 高池勝彦
同 中島繁樹
同 荒木田修


一審反訴被告株式会社展転社は次のとおり控訴理由を追加する。

第1 原判決の不備について

 本来、著作物に関する著者の責任と出版社の責任は別個に判断されるべきものである。原審は出版物の叙述内容に関する出版社の注意義務の内容を明らかにしないまま展転社の過失を認定しており、判決理由が不備である。さらに、原審は記述の相当性判断に関して、本件書籍に直接記載されている以外の研究成果や議論の状況を全く考慮しておらず、記述の相当性について審理が尽くされていない(原判決は30頁(3)においても英文解釈の議論に終始しており、記述の相当性に関する判断にあたり、本件書籍に記載されている以外の事情を一切考慮しなかったことは明らかである)。
 展転社は、本件書籍以外にも南京事件関係著作物を多数出版し、多くの執筆者・研究者と最新の研究内容を知る立場にあるが、『「8歳の少女」と夏淑琴とは別人と判断される。』とする本件記述は、従来から蓄積されていた研究成果に照らし、結論的に極めて正当な言及であった(そのように判断すべき理由については後述する)。展転社はこれら論壇全体の議論の状況や経緯を踏まえて著者の原稿を校閲し編集を行なっており、「8歳の少女」と原告の同—性を合理的に否定する他の事情が存在する状況下で行なわれた本件書籍の出版には十分な相当性がある。
 この場合、当該判断の根拠となる事実の全てが書籍に反映されているか否か、筆者の当該記述それ自体が単独で万人向けの説得力を持つか否かは問題ではない。出版社の立場からすれば、当該記述を裏付ける根拠が現に存在している以上、その結論に至るアプローチの方法、分析の詳細については各筆者それぞれの多様性に委ねて出版するのが当然であり、筆者が編集者の「好み」と異なる独自のアプローチを取ったからといって当該記述の削除・修正を求めることは有り得ない。
 本件で東中野が採ったアプローチは斬新であるものの、その他の事情を併せて考慮すれば合理性が認められるものであり、結論的には至極妥当な分析であった。
 このような著作に対して、編集者の個人的な好みに基づいて内容に介入し、内容の修正や削除を求めることは事実上の検閲であり、むしろ出版社として絶対にしてはならない行為である。
 展転社は、以下に詳述する通り、本件著作の内容を吟味し、相当な根拠に基づき記載内容が結論的に妥当であるとの判断に基づいて出版を行なったのであるから、展転社には本件書籍の出版について何ら落ち度はない。
 以下、出版社としての注意義務という観点から各論点について詳述する。

第2 本件記述内容の相当性

(1)マギー日記
 「8歳の少女」の証言を直接聞取ったとされているマギー師の日記(昭和13年1月30日付)によれば、「家主マーの8歳になる娘は重傷を負いましたが、母親の死体に隠れて助かりました」とあるが(乙第13号証:『目撃者の南京事件−発見されたマギー牧師の日記』86頁 滝谷次郎著三交社1992年)、これ以外に「8歳の少女」の氏名について述べた記録はない。つまり、最も情報源に近い人物によれば、「8歳の少女」の姓は「マー」である。したがって、素直に考えれば原告は「8歳の少女」ではない。

(2)家族構成の矛盾
 原告が自己の主張の根拠としている「フィルム解説文」(甲第1号証(原文は乙第2号証))は昭和13年(1938年)1月下旬ころの情報を前提にマギー師が創作したものであるが、実はこの話には後日談がある。問題の「新路口における一家惨殺事件」については、話を伝え聞いた宣教師がその概略を米国大使館に通報していたが、米国大使館は宣教師らに対し、さらにその正確な立証を求めていた。その後、同年3月に宣教師らが「生き残った少女」本人のもとに赴いたところ、「姉妹」の一人が男の子だったことが判明したのである。(後述のとおり、1938年3月時点の文書には8歳の少女と「3〜4歳の弟」とある。)
 原告提出の"EYEWITNESSES TO MASSACR" (甲第31号証の1、甲第46号証の1、甲第49号証の1、甲第51号証の1、甲第54号証の1、これらはすべて同一書籍の別の頁である)には、乙第2号証、乙第19号証、甲第3号証の1の4枚目以下が原文で収録されている。その216頁(甲第51号証の1)の6のbには、次の記載がある。(これは、「フィルム7の6のb」を指すものであり、問題の「フィルム解説文」つまり「フィルム4の9」に付されたキャプションの続編である。「6のb」は、前後のキャプションから1938年3月頃の記録とわかる。)

b.(フィルム4のケース9で説明した)2人の子供。7〜8歳の少女と3〜4歳のその弟が、彼らの16と14歳になる姉達が強姦されて殺された部屋の外の小さな畠に通じる戸の前に立っている。

 ところが、原告の証拠説明書によれば甲第51号証の1の翻訳であるとする甲第51号証の2では、この部分を次のように訳している。

b.これは(フィルム4の9番目のケースに言われている)子供二人の写真です。7歳か8歳の小さな女の子と、3歳か4歳の妹とが、小さい中庭に通じるドアのところに立っていて、

 つまり、弟を妹に変えて翻訳しているのである。これは誤訳である。原文では弟である。正確な訳を今回乙第41号証として提出する。
 その後、マギー牧師自身も1946年の極東軍事裁判(いわゆる東京裁判)において、生存者の一人は女物の服を着た男子だった旨証言している。(乙第3号証623頁上段3行目から:東京裁判速記録第48号)
 マギー師は、フィルム解説文でもさらに数年以上たった東京裁判でも明確に生き残った下の子は男とであると証言しているのである。

 つまり、「フィルム解説文」で採用されている「8歳と4歳の姉妹」という説明は、第一報にありがちな未確認情報(うわさ)を材料として、マギーが新たに創作したものであり、実際に存在したのは「末っ子が男子の姉弟」だったわけである。(その後、この「新路ロにおける一家惨殺事件」の詳細が米国大使館に報告された形跡はなく、「マギーのフィルム」、「フィルム解説文」のいずれも米国大使館に提出されないまま放置されており、この事件の立証は立ち消えとなったようである。)
 しかるに、原告は一貫して、姉妹は全て女であり自分は「4歳の妹」と共に生き残ったと主張しているのだから、原告は「8歳の少女」とは別人であると考えるのが素直な受け取り方というべきである。

(3)証言の内容が常識から逸脱していること
 「フィルム解説文」にある「8歳の少女」の証言内容を見ると、この8歳の少女は、「玄関」「客間」「(客間の)隣の部屋」の少なくとも三箇所で起こった無差別殺戮の一部始終を一人で目撃し、自ら3箇所を銃剣で刺され気絶するほどの重傷を負いながら、その後二人の姉が何人の兵士に強姦されたかまで数え上げたと主張している(場所的、時間的に明らかに不自然である)。これは到底、わずか8歳の少女の語った内容とは考えられず、第三者による誇張ないし作文を疑うのが常識的判断というものである。
 仮に、今日の刑事裁判において、「8歳の少女の証言」としてこのような調書が法廷に提出されたとして、これに同意する弁護士は居ないであろうし、捜査官による誘導・作文を疑わない裁判官も居ないであろう。

第3 文言の相当性

1.問題とされる記載の文脈
 原告が問題視するのは以下の部分である(本件書籍246〜247頁)。 『マギーはいきなり�の「8歳の少女」は「母の死体のある隣の部屋に這って行った」と説明したのである。その「母」とは、�のシアの妻を指すのか。それとも�のマアの妻のことなのか。
 仮に、「8歳の少女」がシア夫婦の子であったとすると(中略)…従って「8歳の少女」はシア夫婦の子ではなかったことになる。
 では、「8歳の少女」はマア夫婦の子供でありたのか(中略)…従って「8歳の少女」はマア夫婦の子供ではなかったと考えるのがやはり自然であろう。このように「8歳の少女」はシアの子供でもマアの子供でもなかった。その姓は、シアではなかった。もちろん、マアでもなかった。』(以下「本件分析jという。)

 「8歳の少女」の姓をシアとするには無理がある。「8歳の少女」と夏淑琴とは別人と判断される(本件書籍247-248頁)。(以下「本件判断」という。)

(1)本件分析の文脈
 本件分析は、単に「フィルム解説文をそのまま読むと矛盾が生じる」という趣旨を述べたているに過ぎない。つまり、東中野は、原文に忠実な解釈を前提とする限り、8歳の少女はシア(夏)の子でもハア(哈)の子でもなくなってしまうと言っているのであり、これは事実を適示しているのではなく、筆者の思考過程を言葉で表現したにすぎない。
 これは通常の読者の読解力をもってすれば容易に判断可能なことであり、この点にペンをいれる編集者などいない。

(2)本件判断について
 本件判断は、そのまま読めば誰でも分かる通り筆者の「判断」を示したものであって、それ以上でも以下でもない。仮にこの程度の記述が不当な「事実の摘示」であるとすれば、およそ証言の検証など不可能になってしまう。さらに、前述のとおり、この判断は結論的に正当である。結論へのアプローチ手法や説明の程度については所詮個人の「好み」の問題であり、出版社としてはこれに介入しないのが常識である。

2.「フィルム解説文」の翻訳について
 展転社の知りうる情報に照らす限り、本件書籍で東中野が行っている「フィルム解説文」の英文解釈は至極正当なものであった。
 本件書籍が出版された1998年の時点では、原告らが支持する「大虐殺派」諭者たちも、「フィルム解説文」の翻訳にあたり「8歳の少女」は家主マーの娘であると解釈しており、東中野が特に独自の解釈をしていたわけではない(乙第8号証:『貧困なる精神G集−日本人であることの重荷』110頁 本多勝一著 朝日新聞社1991年、甲第16号証『南京難民区の百日(初版)』笠原十九司著256頁 岩波書店1995年)。
 そもそも、前述したとおりマギーの日記によれば「8歳の少女」は家主マーの娘だとされていたのであり、「フィルム解説文」において同様の解釈がとられることも当然と受け取られていた。当時はこの点に争いなどなかぅたのである。
 このような状況下で、出版社が訳文の原典を確認してまで内容をチェックする必要性はないし、現実問題としても不可能である。

第4 出版社の立場からの相当性判断の特殊性について

 そもそも、歴史的問題の検証という場面での名誉毀損の成否は、週刊誌の暴露記事等とは全く異次元の問題である。本件においては、主題が争いのある歴史的事実であることは明らかであり、著者が原告と「8歳の少女」の同一性について確認しうる立場にないことも明らかである。そして本件書籍には、結論に至る過程が示され、その上で筆者の「判断」であることを明示しているのであり、その結論の是非の判断は読者に委ねられている。
 展転社は、「8歳の少女と夏淑琴とは別人」という指摘が、従来の研究成果に照らして結論的に妥当であるという前提のもとに、東中野が試みた新たなアプローチを世に問うべく、その評価を読者の判断に委ねて本書を出版したのである。この行為のどこにも責められるべき事情はない。
 客観的に見て結論が妥当である以上、出版社としては、いちいち著者の内心まで立ち入ってその「総合判断」の過程を調査する義務はないし、その過程の企てを書籍に記載するように求める必要もないというべきである。このようなチェックは検閲に繋がるものであり、言論の自由を保護する観点からも好ましくない。
 ある著作の中で、争いのある事実について一つの判断を示す際に、著者の内心の判断過程まで問い詰めて解明したうえ、その根拠となった従来のあらゆる研究成果を列挙し、これらの成果との総合判断の過程を文中に明記することは事実上不可能である。このような厳格な「証明」がなされない限り名誉毀損が成立するとする原審の判断は著者・出版社の双方に不可能を強いるものであって極めて不当である。(たとえば、雑誌の暴露記事には取材の経緯や判断根拠は書かれていない。名誉毀損の成否は、合理的な根拠が現に存在したか否かで決まるのであり、その全てを文中に表現したか否かは問われないはずである。)

第5 被告らの言論活動の正当性

 原告は「南京大虐殺」に対して否定的な被告らの言論活動があたかも反社会的であるかの如く主張し、また原審もこのような主張に影響されて東中野の研究を愚弄しているが、これは極めて不当な認識である。以下に述べるとおり、被告らの言論活動は至極正当なものであり、現に大きな成果を挙げているのであって、その自由は最大限尊重されるべきである。

1.被告らの言論活動の概要
 東中野が主催する「日本南京学会」のメンバーは、「東京裁判」における判決や中国政府が主張する「南京大虐殺」のストーリーには虚構部分が多いという認識で一致しており、「南京事件」の真相解明には科学的・理論的分析に基づいた再検証が不可避であると主張している。一方、20万〜30万人規模の大虐殺という基本認識を堅持しようとする論者達は「大虐殺派」と呼ぱれ、東中野らと激しく対立している。

2.被告らの言論活動の成果
 「日本南京学会」は、発足当初から所謂「大虐殺派」の主張の非科学性・恣意性を厳しく指摘してきたが、近年では、前述した「大虐殺派」の長老といわれる笠原十九司氏ですら、その著書の中で以下の事実を認めざるを得なくなっている。

「『南京市内に進軍した日本軍が20万、30万の市民を寄ってたかって殺しまくった』というのは、全くの『虚像』である。」
「城内の中心街に数千数万の死屍累々などという光景はまったくない。」
(出展:『南京大虐殺否定論13のウソ』92〜93頁 柏書房1999年)。

 これは、「大虐殺派」の長老が、公式に、「南京大虐殺」の主要部分について虚構性を認めたことを意味する。被告らは、これは「南京論争」における大きな前進であり、東中野をはじめとする「日本南京学会」メンバーの長年の研究活勤の成果であると確信している。
 また、「南京への道」と題するルポタージュを連載して「南京大虐殺」糾弾キャンペーンの旗振り役となった朝日新聞社も、既に現在から17年も前の平成3年に、間接的ながら「大虐殺説」を放棄したことを認めている。読者からの紹介に回答する形で、南京における死者数について、軍民合計で4万人前後と見積もる説(いわゆる「中間説」)が妥当であると回答したのである(歩兵第35連隊に所属して南京戦に参加した野村吾朗氏が朝日新聞社に提出した平成3年1月27日付質問書に対し、2月2目付回答書は「30万という数が正しいとは思いません。『窓』で紹介した中公新書『南京事件』の見方が、現時点では妥当ではないかと考えます」と述べている。)(乙第42号証)。
 これは、南京駐留の宣教師らが国民党諜報機関の関与のもと1938年に流布した「約4万の死者のうち、市民が3割」との宣伝をほぼ丸呑みするものであるが、同時に、東京裁判の判決で決定的証拠とされた死体埋葬記録(約15万体)の大部分が捏造であったと認めるものである。
 しかし、その後の研究により、従来中立的な観察者と看做されていた米国人宣教師らが実は密かに反日団体や爆弾テロを支援したり、中国国民党の諜報機関の下で反日宣伝活動に従事していた事実が発覚している。また、宣教師らを利用して反日宣伝活動を行っていた諜報機関について、その工作内容をまとめた極秘文書も発見されたが、当該文書からは南京における「大虐殺」の存在は窺われなかった。さらに近年では、反目宣伝活動に協力した宣教師達が、本音では当該宣伝は誇張に過ぎ逆効果であるとすら認識していた事実も指摘されている。この宣教師らは、上海で活動する国民党の諜報員に対し、南京における戦災は経済の破壊が最も基本的なものであると強調しており、一般市民の大虐殺など全く報告されていない。
 以上の事実からも明らかなよぅに、現在の日本における「南京論争」では、中国政府が主張するような「大虐殺」の存在は完全に否定されたと言ってよい。
 さらに近年の数々の新事実の解明により、現在「大虐殺説」は殆ど支持を
失い、「中間説」の根幹も大きく揺らいでいる。これらは、被告らの努力な
くしては有り得なかった変化であり、言論の自由市場において「論争と淘汰」
が機能した結果である。

3.現に国家的プロパガンダが進行中であるという事実
 上記の通り、今日の日本における常識に照らす限り、中国政府が「南京大虐殺」として主張するストーリーのうち、少なくともその主要部分が全くの虚構であるという点に殆ど争いはないのである。
 しかるに、中国共産党政府が様々な「証拠」をもとに、「南京虐殺30万」との宣伝を国是として推進していることは周知の事実である。このことは、中国政府の主張する「証拠」の確度が一般的に低いこと、明確な国家意思に基づく政治的プロパガンダが現に行われていることは明らかである。
 被告らはこのような国家主導のプロパガンダに抗して、幾多の妨害と嫌がらせを受けつつ、ひたすら国民の知る権利に奉仕しているのであって、その言論活動には最大限の保護が与えられるべきである。

第6 本件訴訟の意味

 そもそも本件書籍における問題の記述の論調は極めて穏当であり、内容も評論の域を出ないものである。さらに、上述した通り「8歳の少女」と夏淑琴とは別人であるとの判断は相当の根拠をもって行なわれたものである。
 前述のとおり原審の判決は、歴史上の事実に関する論評や指摘についてすら、全ての判断過程を本文中に明記した上で完全な証明を求めるものと解釈せざるを得ないが、これは著者にも出版社にも不可能を強いるものであり、事実上「被害者の証言」に批判的検証を加えること自体を不可とするに等しい。これでは、およそ歴史的事実の検証は不可能になる。
 本件において、万一、「被害者の証言」に対する批判的検証自体を非とするかのような判決が確定すれば、これが今後の「南京事件」研究、ひいては戦争報道研究一般に与える悪影響、萎縮効果は甚大なものがある。
 民主主義社会においては、言論の自由、出版の自由は最大限守られねばならず、裁判所はプロパガンダに与してはならない。まして、論争により淘汰され敗北しつつある政治宣伝に裁判所が肩入れしたとなれば、司法制度に対する国民の信頼を著しく損なうことになる。本件訴訟ではまさにこの点が問われているのである。              以上


乙第41号証

(甲第51号証の1の216頁、フィルム7の6の訳)(太字及び下線は訳者)

6.(ここに示されている場面は、フィルム4のケース9に加えられるべきもの。その時に殺された11人家族の物語。)
a.これらの悲劇が起きた家の丁度隣家の壁に貼ってある日本車のポスター。1人の日本兵が小さな子供を抱き、母親1籠の米、父親に砂糖と他の食糧品を与えているところだ。上の右側に「家へ帰るように!私たちはあなたに食べる米を与える!目水軍を信じなさい!あなた方は救われ助けられます!」このようなポスターは、悲劇が起きた家かその近くの家で度々見られる。
b.(フィルム4のケース9で説明した)2人の子供。7〜8歳の少女と3〜4歳のその弟が、彼らの16と14歳になる姉達が強姦されて殺された部屋の外の小さな畠に通じる戸の前に立っている。彼等は戸の向うのこれらの悲劇の1つが行われたテーブルが見られる。血がテーブルの上、床の上、家の中の他の場所に残っている。祖父と祖母はこの同じ部屋で殺された。そしてこれらの子供達の姉は背中や脇腹を銃剣で刺された。一緒に写っている男性は、悲劇が起きる前に妻と共に安全区に入っていた子供達の叔父である。
c.母親が強姦されて殺された部屋の戸の前に立つ同じ人々。ここで子供達は救われるまで14日残っていた。少女の銃剣の傷あとは3ケ月前のものである。
d.回教徒が殺された農地の場所。まだ石の上に血痕が見える。
e.Hsing Lu K'ou (新路口)。ここは南東部で悲劇が起きた家から近い。日本軍入城の直後に4、5百人の人々が殺されたところである。

以上正訳しました。

平成19年12月20日
弁護士 高池勝彦

 
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