南京への道・史実を守る会 結成呼びかけ文

 1937年、当時の中国の首都・南京へと殺到する日本軍がひきおこした南京大虐殺事件は、侵略戦争の狂気を今に伝えています。

 南京へと向かう日本軍のなかに、「どちらが先に100人を日本刀で殺せるか」を競い合った「N」と「M」という二人の将校がいました。彼らの行なった殺人競争の模様を東京日日新聞(現在の毎日新聞)は「美談」として日本に伝えています。

 日本の敗戦後、南京で開かれた軍事法廷で二人の将校は死刑に処せられます。侵略の戦場における狂気の象徴ともいえるこの殺人競争を現在に紹介したのが、ジャーナリストの本多勝一氏が書き、朝日新聞社が掲載したルポルタージュ『南京への道』でした。

 以来、南京事件という史実を否定し、あわよくば日本の侵略という事実自体をも否定したいという勢力から、「百人斬り競争」は「まぼろし」だったという言説が繰り返し流されてきました。しかし、戦時中に「N」自身が「百人斬り競争」が実は捕虜殺害だったと出身地の小学校で話していたという証言や、当時の報道にたずさわった記者やカメラマンの証言が世に出され、少なくとも二人の将校自身が「百人斬り競争」を実行したと話していたこと自体は史実として確定しました。

 事件から66年が経過した2003年になって、突然、二人の将校の遺族が本多勝一氏や朝日新聞社を「名誉毀損」だとして提訴しました。「百人斬り競争」自体が虚偽だとして、その行為をルポとして報告したことが死者に対する名誉毀損だというのです。この提訴の背後には、南京事件の史実を否定する勢力や、現自民党国会議員の弁護士などがいました。

 しかし、提訴以来、史実を守ろうとする多くの良心的なジャーナリストや市民により、数多くの新資料が発掘されました。両将校の部下として虐殺行為の一部始終を見ていた望月証言を筆頭に、「百人斬り競争」が実は無抵抗の捕虜・農民に対する虐殺行為だったことが明らかとなったのです。

 2005年8月に出された地裁判決は、当然のことながら、遺族側の請求をすべて退ける、本多氏側の全面勝利判決でした。すでに社会的に決着がついていた問題を蒸し返し、誤った歴史認識を広げようとする悪しき企みが失敗したといえるでしょう。

 しかし、遺族側は控訴し、審理は東京高裁へと移りました。また、現在、南京で審理が進められている事案など、南京事件をめぐっては今後も新たな支援活動が必要になってくる可能性があります。南京事件の過去を歪めず、忘れず、今の戒めとすることを願う私たちは、あらためて支援活動を強化するべく、ここに「南京への道」・史実を守る会を結成することを呼びかけます。史実を守り、後世への戒めとして語り継いでいくために、目的を同じくする多くの方に参加してほしいと願います。

2006年2月15日 呼びかけ人一同

あしな
荒川和晴(慶應義塾大学研究員)
石山久男(歴史教育者協議会委員長)
ウサギの眼
大谷猛夫(中国人戦争被害者の要求を支える会事務局長)
金子美晴(ハイナンネット)
川原しのぶ 学生
熊谷伸一郎(撫順の奇蹟を受け継ぐ会事務局長)
鈴木千慧子(南京事件調査研究会)
高橋亨
タラリ
俵義文(子どもと教科書ネット21事務局長)
とほほ 
南典男(弁護士)
穂積剛(弁護士)
Maris
指環

最終更新日 ( 2008/06/17 火曜日 03:52:12 PDT )
 
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